いかに愛着障害を克服するか

今回のエントリーは「人は誰でもどこかしらメンヘラの要素を持っている」の続きもの。

前回触れた『愛着障害』における愛着障害の克服について考えてみたい。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

僕はおそらく愛着障害というレベルには至っていないが、父との関係に少し抵抗がある。おそらく昔かなり怒られながら育てられたので、その時の感情が残っているのと、お互いあまり人間関係の構築には長けている訳ではないので、抵抗のある関係が継続してしまっているのだろう。

 

と言っても何か問題が発生しているわけではなく、普段も普通に話すし、時には悩みも相談したりする。ただ、もう少し関係が良くなるといいなとは思っている。

愛着障害』にも、そのものずばり「愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するのは、親との関係を改善していくことが、最も望ましい」と書いている。

 

ということで、この週末、父と出掛けてみた。(これも普段出掛けないわけではないのだが、その量=時間を増やすという試み)特別何が起こった訳ではなかったが、自然とお互い話すことも増えるし、何より同じ体験が共有できることが嬉しかった。体験は二人の中に残り続けるし、これからも時間が経っても共有することができるからだ。

 

以上、「愛着障害を克服するための方法=親との関係を改善する」の簡単な実践レポートだ。

 

しかし、中には親との関係を自力で改善することが困難な場合もあるだろう。その場合の方法論についても、本書では触れられている。

それは「いざという時に心の拠り所となる安全基地の存在を持つこと」である。これについては機会を改めて触れたいが、個人的には自分が安全基地的な場所や人になりたいと思って日々生きている、ということは、意思表明も込めて、この場で書いておきたい。