組織開発で見落とされがちなこと

最近、組織開発について思うことがある。それは「手法ばかりが注目されていて、何のために組織開発を行うのか?が案外語られていない」言い換えるならば「組織開発は良いものだ」という前提が設定されているということだ。

組織開発は「みんなが本音で接し、イキイキと過ごしている場」をつくることが目的になりがちな性質がある。これは一見、優れたコンセプトに思える。お互い本音で接すること、イキイキと過ごすことは少なくとも悪いことでは無さそうだ。

しかし、僕はこれだけでは片手落ちだと考える。「みんなが本音で接し、イキイキと過ごしている場」をつくって「何を成したいのか?」が不明確なままだからだ。

組織開発に違和感を感じている人のモヤモヤも「仲良くなりたいのはわかった。で、仲良くなってどうするの?」という所にあるのではだろうか。

 

組織開発のプロセスには痛みも伴う。お互いが分断されていること、していることに直面する過程があるからだ。ただ組織開発を行うのではなく、組織開発の先にあるビジョンを同時に創りあげていくことで、痛みに向き合うことができるようになる。

社会変革のファシリテーターとして知られるアダム・カヘンはキング牧師のとある言葉をよく引用する。「愛なき力は、向こう見ずで悪用されやすく、力なき愛は、感傷的で生気がない。われわれに必要なのはその認識である。」

ビジョンのない組織開発は「力なき愛」に陥りやすい。組織開発がもてはやされがちな今だからこそ、持っておきたい視点です。