なぜビジョナリーであることが大切なのか?

今日は社内でファシリテーターのトレーニングを受講していた。その中でファシリテーターとしての在り方として「中観かつビジョナリーであること」ということが挙げられた。

 

「中観」というのは仏教用語で、物の見方に対する立場の一つで「すべてに意味がある」という考え方を取るもの、と理解している。これはすなわち「目の前のことを正確に捉える」ことに繋がり、ファシリテーターに必要な要素であると言うことができる。

 

では、なぜビジョナリーであることが重要なのだろうか?必ずしもビジョンを持っていなくとも良いファシリテーションはできそうだ。これは自分でも分からなかったので、質問したところ、次のような答えが返ってきた。

 

その答えとは「人はビジョナリーにならないと、自分だけで閉じようとしてしまい、不健全になる」というものだった。ビジョンとして外側に向かうエネルギーを持たないと、エネルギーが自分の中にだけフィードバックされ、下手をすると精神を病むことにも繋がるとのこと。

 

おそらくこれはファシリテーターに限らず、当てはまることだろう。自分もメンタルのコンディションが良くない時には、「自分の中だけで悶々とぐるぐるしている状態」に陥っていることが多い。

 

企業経営でもよく「ビジョンが大切」と言われるが、その理由が少し分かった気がした。ビジョンとして外に向かうエネルギーが無いと、会社の中へのフィードバックが過度に働いてしまい、人間関係で問題が起こったり、業績のみに囚われてしまうことが起こるのかもしれない。

 

やはり人は外界との関係性で成り立っているのだろう。今日のトレーニングを経て、そんな思いがより深まった。