無駄なことを考えて、無駄なことをする

タイトルは、イチローの「キャンプでいろいろと試すことは、無駄ではありません。無駄なことを考えて、無駄なことをしないと伸びません」から取りました。

「無駄なことを考えて、無駄なことをする」一見、本当に無駄に思えますが成功のためには絶対に必要な道のりです。僕はあまり「絶対」という言い方はしないのですが、これは「絶対」だと思っています。

なぜなら、成功した後で初めて無駄かどうかが分かるからだからです。もちろん、しなくてもいい無駄をしないためにきちんと考えるということは必要です。しかし考えれば完全に無駄が省けるということでもありません。

「無駄なことを考えて、無駄なことをする」を別の言葉で表現するならば「挑戦」です。無駄は成長には不可欠なのです。

期待外れな人

先日、U理論やNLP、プロセスワークに瞑想法をハイブリットさせた内観法のトレーニングを受けてきました。今回はその中での気づきについて、今回は書いてみたいと思います。

このプロセスの中で、自分が「期待外れな人間である」という思い込みを持っていることに気づきました。

もともと僕は周囲の期待をあまり気にしない人間であると最近まで考えていたのですが、成人発達心理学などを勉強していく内に「実は自分は周囲の期待から外れることに怖れを持っているのではないか?」と思うようになりました。

今では、周囲の期待に時には飲み込まれてしまう自分がいることを少しずつ自覚するようになってきました。今回の「期待外れな人間」という思い込みはそれを裏付けるように現れています。

近頃、仕事をしながらふと息苦しく感じた瞬間があったりするのですが、それはまさに「期待から外れないかどうか」を伺っていたり「期待を外した!」と感じた時でした。

自分の中で起こっている事が紐解けると、思い込みの手放しに一歩近づきます。今回は手放した後に「自分は未来の可能性である」という言葉が降ってきました。

そして次の日、自分のつくったアウトプットに対しフィードバックを受けても、以前ほど凹まない自分がいました。フィードバックを「未来の可能性」と受け止め、前向きに捉えることができたからです。

今回のトレーニングの中で、今回習ったことは「心の歯みがきのようなもの」と教わりました。慣れるまで、地道に続けていきたいと思います。

間に髪を容れず

間に髪を容れずという言葉を今日教わりました。元々は中国の故事成語で、今では「間髪を入れず」として使われている言葉です。

意味は「髪の毛一本も入らないほど直ちに」です。ついつい人は一度失敗すると萎えてしまいます。しかし、本当に成功する人は一回の失敗で諦めずに何度も挑戦します。というかそもそも一回で成功するとは思っていないのです。だから一回失敗してもまたすぐに挑戦します。

つまり「間に髪を容れず」繰り返すのが成功する人であるというわけです。僕は一度失敗するとそれだけで落ち込んでしまう傾向がありますが、何度も挑戦することを当たり前の基準としてセットする言葉として「間に髪を容れず」というフレーズをこれから大事にしていきます。

変われる人は変わっている

今日は自社のセミナーにオブザーブしました。テーマはグローバル人材育成です。今日はセミナーを聴講して、自分なりに考えた事をを書いてみます。

これまでは、どんぐりの背比べであった日本企業のグローバル人材育成も、ここ1年ぐらいで差が出てきたように感じます。動きが早かった企業の成果が少しづつ見え始めていると感じます。逆に「いや〜まあ英語ができればいいでしょ」とか「国際部門に任せています」と言っている企業に変化は見えないように感じます。

 

何が言いたいかと言うと「変われる人はもう変わり始めている」ということです。

誰しも変化することには抵抗がありますし、変わらずに済むものであるのならば変わりたくありません。しかし「目の前の現実をしっかりと見据えた上で、自分たちがどうなりたいのか」をよく考えると、自然と「変わる」という選択に繋がるのではないでしょうか。

僕たちに必要なのは自然と「変わる」ことを選択できるような機会や場を持つことです。ただ生き残りのために変わろうとしても、無意識の抵抗を受け、変革は起こりません。心の底から変化が必要だと感じきることが、真の変革への道です。

「そんな時間を最近意識して取っているか?」という自戒を込めて、今日のエントリーを締めたいと思います。

古典を読み始めるタイミング

この間もブログに書いたのですが、最近「易経」を読み始めました。ある方からご紹介頂いたのがきっかけですが、今の自分の問題意識と合っており、読み進めることができています。

僕はこれまで何度か古典に挑戦してきましたが、だいたい失敗に終わってきました。ですが、今回は内容を理解した上で読むことができています。その違いがどこから生まれたのか、考えてみました。

要素としては色々あるとは思います。人からご紹介頂いたこともあるでしょうし、長文ではなく、短文+解説という構成のため、少しずつ読めるということも理由の一つにはあります。

しかし、一番大きい理由は「古典を消化できる経験を積んだこと」にあります。易経は英語で「Book of Changes」というタイトルです。仕事柄、人や組織の変化について、いろいろと考えを巡らせてきたこともあり、内容が入ってきやすかったのです。つまり、書いてある事を解釈できるだけの経験数が一定度溜まったことが、今回易経を読めている理由だと考えています。

 

これはあらゆる古典に当てはまるのではないかというのが僕の見立てです。古典というものは得てして、原理原則が書かれています。しかし、逆に考えれば、原理原則しか書かれていないとも言えます。経験が足りない時に原理原則をインプットしても、そもそもそれが原理原則であると気づけません。ある程度の経験を積んで、その経験全てに当てはまる法則の存在に気づかないと、古典の良さには気づけません。

読書家の方はよく「古典を読め」とおっしゃいます。そのアドバイスは正しいと思いますが、すぐに古典に挑戦できるかどうかは、その人の持つ解釈力、そして経験の蓄積に拠るのではないでしょうか。

経験を積みながら、古典に立ち戻り、その感触からフィードバックを貰って、新たな経験に繋がる、こんなサイクルの中で古典を活用することがベストな活かし方なのではないかと思います。

Search Inside Yourselfを終えて

昨日から受講したSearch Inside Yourselfプログラム、無事修了しました。今日は、マインドフルネスと内発的動機付け、レジリエンス、マインドフルエンパシーリスニング、リーダーシップについてのレクチャーとトレーニングが中心でした。

1日目は内面的なことを扱う内容が多かったのですが、今日はリーダーシップやコミュニケーションなど、マインドフルネスでありながら外界にどう関わっていくかに重きが置かれており、個人的には1日目よりも内容が充実していたように感じました。

 

僕がこの2日間で掴んだ事は「マインドフルネスは訓練できる」という感覚です。こう書いてしまうと当たり前なのですが、これを頭ではなく体感で掴めたことが大きかったです。

これまでは瞑想がパフォーマンス向上に効果的であることは頭で分かっているので、瞑想的なものに手を出してきましたがどうも上達する感覚が掴めず、効いたような効いてないような気分になって、結局続かないということを繰り返してきました。

そんな中、今回掴んだ感覚は、例えるならば「英語を習い立ての頃、リスニングを練習する中で単語が聞き取れるようになった感覚」に近いです(英語も苦手なのですが。。。)

きっとこれからも上手く行ったり上手くいかなかったりを行ったり来たりするとは思いますが、一段レベルが上がった気がします。

これは「シンプルな方法で繰り返し取り組んだ」からです。物事が上達するにはセンス以外にはこのアプローチしかありません。

これから1ヶ月の間、バディの方と4週間の実践に取り組むので、気を引き締めて更に定着させていきます。

Search Inside Yourself 1日目を受講して

今日から、Search Inside YourselfというGoogleが、最新の脳科学に基づいて開発したリーダーシップ・パフォーマンス向上のプログラムを受講しています。

 

僕はこのプログラムの存在を2年程前に読んだこの本から知りました。

サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド

サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド

 

この手の輸入もののプログラムは、言語や文化的な背景から、元のプログラムと比較すると、日本版は再現度で劣ることもままあるのですが、今回受けている内容は、本で紹介されていたものに非常に近く、極めて純度高くデザインされていることが伝わってきました。

 

プログラム初日の今日は、主にマインドフルネスメディテーションというアテンションを向けるトレーニングを様々な角度から学び、実践していきました。これまで生きてきた人生の中で一番数多く瞑想した日になったと思います(笑)

また実践の合間には、脳科学的な見地からの解説がなされ、ただ演習するだけではなく、何が・なぜ効果的なのか、きちんと説明される構成になっていました。

加えて、参加されている方の質も極めて高いように感じました。瞑想系のセミナーの参加者は「瞑想にうまく入れなくて…的な質問」が多いのですが、今回の参加者の方の多くは「時には入れない事もあることを受け入れた上での質問」が多く、質問内容からも日頃から瞑想を実践されている方が多い様子が伝わってきました。

もちろん「もっとこうした方が良いんだけどなあ」と感じる場面も無くは無かったですが、それはセミナーが終わった明日に、改めて書きたいと思います。

天狼院マーケティングラボに行ってきました

今日は最近、様々なメディアで取り上げられ話題になっている「天狼院書店」で開催された「天狼院マーケティングラボ」に参加してきました。

実践に基づく話ばかりで、自分に活かせそうなヒントがたくさん貰えました。特に僕が知りたかったのは、本から得た学びをどのように実践しているかということでした。

今回、店主の三浦さんにその秘訣をお伺いすることができたので、こちらでもその一部をご紹介してみたいと思います。

 

  •  一行でも使えるものは即実践する

  • 本を選ぶ際に注意する事は結構古い本を使うこと。刷り部数にも注意する

  • また、編集者も本を選ぶ観点。オススメはダイヤモンド社の寺田さん
  • ただし、今の時代に合っているかを考える

  • 時代に合うかを見極める感性を養うためにリベラルアーツ的なものを読んでおく

 

最初の「 一行でも使えるものは即実践する」は超基本ですが「本当にできているか?」と問われるとなかなか難しいところ。肝は言わずもがなですが「即実践」ですね。

あと、編集者で選ぶというのは新しい視点でした。これから自分も注意してみます。

最後のリベラルアーツについては「なるほど!」と思いました。恥ずかしながら、僕はこれまでリベラルアーツを読む必要性があまり分かっていなかったのですが、三浦さんのお話を聞いて腑に落ちました。実は最近「易経」を読み始めているのですが、原理原則が書かれているので、確かに「指標」になるのです。

 

天狼院書店は今回以外にも色々とイベントを開催しています。(僕も以前読書会を開催しました)とても面白い場なので、興味を持たれた方はぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

なぜ人の成長ステージは「社会適合」→「自主創造」なのか

人の成長ステージは「社会適合」(リアクティブ)から「自主創造」(クリエイティブ)という順番を辿ると言われています。

言わんとしている事は分かるのですが、なぜすぐに「クリエイティブ」ではないのか疑問に思っていました。クリエイティブに生きた方が楽しいはずだし、幸せなはず。でもなぜその前にリアクティブを体験しなければならないのか、腑に落ちずにいました。

 

ずっと自問自答していて、最近少しずつその理由が分かってきました。なぜ人は「社会適合」→「自主創造」という成長ステージを辿るのか。それは「自分をマネジメントできる力を身につける期間が必要」だからではないでしょうか。

 

あくまで僕の見立てですが、いきなり「自主創造」のステージになってしまうと、自分自身をマネジメントできずに暴走してしまうのではないかと思います。本人は「自主創造」のつもりでも、それは自分の欲にコントロールされているだけという状態になってしまうということです。

 

そうすると、「社会適合」から「自主創造」へのシフトを作るための方略が見えてきます。一つは「社会適合」の世界にどっぷり浸かり自分をマネジメントする術を身につけること、二つ目は「社会適合」の世界の中で、欲と自分の心から来る真のニーズを区別し、真のニーズにエネルギーを割く事によって「自主創造」の割合を意図的に増やしていくことです。最後に、生命の危機にさらされることによって、自分の真のニーズに気づくという手段もありそうですが、危険過ぎるのであくまで奥の手かと思います。

 

僕は人の成長のプロセスは偶然ではなく、何らかの理屈や意図のもと、設計されていると思っています。体験と研究を重ねながらこのメカニズムを引き続き探究していきたいと思います。

クリアな思考をする

「考える力のある人って、どんな人なんだろう?」ということを時々考えます。論理的思考力のある人、おもしろいアイディアを思いつける人、いろいろな考える力があると思います。

 

でも、どんな考える人にも共通する一つの特徴として「クリアな思考」ということが上げられるのではないかと思います。「クリアな思考」とは混じり気の無い、澄んでいるというような意味合いです。考える力がある人は、変にこねくり回したりせず、非常にシンプルなロジックを持っているのではないでしょうか。

 

周りにいる人を見てもそう思いますし、例えばドラッカーも非常にシンプルな論理構造を持っています。

 

「クリアに考える力」はロジカルシンキングの一種ではあると思いますが、もう一段か二段ぐらいメタ的なものであると思います。そのため、僕が思うに「クリアな思考のできる人」が書いている本を読むなどして少しでも意識化できるよう試行錯誤するしかないのかなとは思います。

 

普通の人が普通の環境で何かしらを工夫することによって身につけることができたら価値があるとは思うのですが。

東大中原研究室 リフレクション研究会に参加してきました

先日、東大中原研究室の有志の方によって開催されたリフレクション研究会に参加してきました。

これまでは学術的な裏付けというよりも、実務に触れる中においての感覚を元に知見を深めてきたので、今回のような機会は貴重であると共に非常に新鮮な機会でした。

内容については以下のリンク先にしっかりまとめられているのでそちらをご参照ください。

「実践のなかでのリフレクション」を饒舌に語る!?

せきねまさひろぐ: 「Reflection研究会」Part1

 

さて、ここからは参加しての所感を書いてみたいと思います。

最も印象に残ったこととしては、リフレクションというものは「語り得ない要素が多分に含まれたもの」ということが挙げられます。当たり前と言えば当たり前ですが、リフレクションは人間の内部で行われるものであり、結果はまだしも、プロセスを観察することは、現時点ではほぼ不可能です。今回読んだ論文も、この点を乗り越えたものはほとんどなく、リフレクションという分野はまだまだ未開であることに改めて気づかされました。

 

逆に考えれば、まだまだチャンスが広がっている分野であるということでもあります。学術的な論文に仕上げるには、正確性や客観性が必要で、仕上げるまでにはどうしても時間が掛かります。一方、実務では、多少の正確性や客観性を犠牲にしても、成果を取りにいきます。だから先進的な取り組みは、なんだかんだ言って実務分野で先に起こります。

つまり、本当に先進的な取り組みを行い、それをきちんとデータとして残し、証明することが出来れば、一気にこの分野の先頭に躍り出る事もできるのではないかと言う事です。やや野心的かもしれませんが、少なくとも日本で見ればそれは可能だと感じました。

特に企業経営分野では注目している人が少ないため、今が狙い目かと。(この手の研究は教員育成や医療分野が発展しています。たぶん企業経営分野で本気で突き詰めている人は3桁いないんじゃないかと思います。)

 

近い将来、数年の内に、実務家としての論文執筆にぜひチャレンジしたいと思います。

脳と弱みについて

最近、内向性に関するインプットを行っています。内向性とは、心のエネルギーが内側へと向かう性質のこと、分かりやすく表現すると皮膚の内側にエネルギーが向く人のことです。ユング心理学では、人は大きく内向性を持つ人と、外向性を持つ人に区分できると言われています。

ここ数年で、内向性をテーマにしたついての書籍が出版されるなど、注目を集めている話題でもあります。

どうやら最近の研究に拠ると、内向か外向かは、外部の刺激に対する脳の反応によって決まるとのことです。外部の刺激に敏感な人は内向に、鈍感な人は外向になるとのことです。(ここでは分かりやすく表現するために、良い悪いの意味付けをせずに、敏感・鈍感という言葉を使っています)内向・外向はそれぞれの特徴が良い方向に発揮されれば強みに、悪い方向に発揮されれば弱みになります。

脳というのは可塑性があるとも言われますが、生まれつきの要素もあり、全てを変えられる訳でもないと言われています(変えるためのアプローチが分かっていないということも考えられますが)

自分の弱みや人の弱みは気になり、かつ、好き嫌いに結びつきやすいものですが、脳のレベルで何が起こっているかまで分かるようになれば、多少、対処のしようが出てきそうです。人のパフォーマンスについて探究するならば、やはり脳について知る事は一つポイントになってきそうです。

夢しか実現しない

タイトルの「夢しか実現しない」は福島正伸さんの言葉です。

 

さて、この言葉を思い出したのは、今日会社である写真を見つけたからでした。それは数年前、会社のありたいビジョンを未来新聞という形で記したものでした。あるワークショップ開発のために、自社でも実践したみた中で生まれたアウトプットでした。

かなり久しぶりに、というかその時以来、その写真を見ました。この手のものはどうしても「絵に描いた餅」になりがちですし、うちの会社はかなり変化が激しいので「どうせ今とは全然違うんだろうな〜」と思いつつ、写真のデータを開いてみました。

 

実際に写真を見てみて驚きました。細かい部分は違えど、書いてあることがほぼ実現しているのです。こんなにキレイに結果に繋がっているとは思わなかったので、びっくりしたと同時に、冒頭の「夢しか実現しない」という言葉が、頭の中に降ってきました。

きっと未来新聞に描いたときには、もちろん実現したらいいなとは思っていたでしょうが、本当に実現すると思って描いたわけでは無いと思います。

 

でも、実際は未来が現実に現れました。これは「誰か」というよりも、いわゆる集合的無意識的なものが、そうさせたのだと思います。と、最後は何だか精神的な内容になってしまいましたが、最近はやや目の前のことに追われている事もあり、改めて夢を描こうと感じた次第です。

生産性を最大化するためのカギ

先週から業務中のタスクを記録して予実を管理しています。その中で今まで見えていなかったことが見えてきました。たとえば、

  • ルーチンタスクが全体の48%
  • インプットとアウトプットの割合はおおよそ1:3
  • 社外MTGは予定よりも長引く傾向あり。ただし特定の人に限定される

あとは、自分のタスクの組み方のクセが見えてきました。例えば、企画の時間は他のタスクよりもまとまって取る傾向がありました。これは、元々の予定の組み方もそうなのですが、予実との差でもギャップが大きいのがこの企画の時間でした。つまり「無意識の内についつい押しがちなタスク」ということです。

 

この傾向は自分のクセなのかなと思う。僕はMBTIで言うところの内向思考という、いわゆる内にこもって考えるタイプなので、企画を考えている時間というのは快適なのです。だから、ついつい予定を超えて考えてしまう傾向があるのかもしれません。

 

と、考えると僕と逆のタイプである外向型の人は全く異なったタスク管理をする可能性があります。例えば、じっくり考えるというより、人と関わりコミュニケーションの中で仕事を進める方が向く可能性が高いです。

 

この考え方、個人のタスク管理でもそうですがマネジメントで効果を発揮しそうです。部下を知ることが大事、とはよく言われますが、タスクの組み方を知る事でお互いストレスフリーな仕事の進め方ができるようになるのかもしれません。

「うまく生きる」と「まともに生きる」

昨日と今日、ODNJ国際大会2014という組織開発を扱ったイベントに参加していました。AIで有名なダイアナ・ホイットニーさんや神戸大学金井教授とエドガー・シャイン先生のセッションなど、貴重なお話をお伺いすることができました。

 

さて、組織開発について色々考える中で、感じたことを今日は書いてみたいと思います。それは、組織開発は、ある哲学・価値観的な要素を含むものであるのではないか?とうことです。

その哲学・価値観とは、表題に掲げた「まともに生きる」です。これの対義語は「うまく生きる」です。うまく生きるだけであれば、組織開発は必要ないものかもしれません。また、組織開発は結果的に「うまく生きる」ことにも繋がりますが、直接的に「うまく生きる」ことは志向していないようにも思えます。

 

だからかもしれませんが、「うまく生きよう」と考えて、組織開発のアプローチを取り入れても、あまり成功するイメージがありません。それよりも、時間とエネルギーは掛かるけれども「まともに生きる」ことを選択して、その手段として組織開発を取り入れることで、初めて組織開発の持つポテンシャルが発揮される気がします。

 

組織開発を取り入れる際には、結果を求めて安易に取り入れるのではなく、このあたりの姿勢や価値観、マインドをよくセットアップすることが極めて重要である、というのが僕の考えです。このアクション自体が既に組織開発なのですが。。。