今週のテーマ

先週末から昨日までは風邪で寝込んでいました。年明けからごまかしつつ過ごしていたのですが、急激に悪化してしまいました。

休んでいる中で気づいたことは、ずいぶん自分を解離させていたことです。

以前よりはだいぶ良くなってきたとは認識していたのですが、ネット等も止めて、自分の心の内に耳を傾けると、普段はほとんど意識することの無かった声が聞こえてきました。

これは風邪が悪化するし、なかなか体調が良くならないのも当然です。

そして今日、いざ仕事に向かうとやはり日常の引力が強く、自分の心からというより頭から声を発している自分がいました。本当はもう1日ぐらい、休日の中で調整できると良かったのですが。

というわけで、今週はゆっくりと、しかし確実に立て直していこうと思います。

組織開発で見落とされがちなこと

最近、組織開発について思うことがある。それは「手法ばかりが注目されていて、何のために組織開発を行うのか?が案外語られていない」言い換えるならば「組織開発は良いものだ」という前提が設定されているということだ。

組織開発は「みんなが本音で接し、イキイキと過ごしている場」をつくることが目的になりがちな性質がある。これは一見、優れたコンセプトに思える。お互い本音で接すること、イキイキと過ごすことは少なくとも悪いことでは無さそうだ。

しかし、僕はこれだけでは片手落ちだと考える。「みんなが本音で接し、イキイキと過ごしている場」をつくって「何を成したいのか?」が不明確なままだからだ。

組織開発に違和感を感じている人のモヤモヤも「仲良くなりたいのはわかった。で、仲良くなってどうするの?」という所にあるのではだろうか。

 

組織開発のプロセスには痛みも伴う。お互いが分断されていること、していることに直面する過程があるからだ。ただ組織開発を行うのではなく、組織開発の先にあるビジョンを同時に創りあげていくことで、痛みに向き合うことができるようになる。

社会変革のファシリテーターとして知られるアダム・カヘンはキング牧師のとある言葉をよく引用する。「愛なき力は、向こう見ずで悪用されやすく、力なき愛は、感傷的で生気がない。われわれに必要なのはその認識である。」

ビジョンのない組織開発は「力なき愛」に陥りやすい。組織開発がもてはやされがちな今だからこそ、持っておきたい視点です。

シンプルだけど効く振り返りの手法

ここ数日はブログも書かずにある作業に没頭していました。それは「ライフストーリースクリプトを書くこと」です。

ライフストーリースクリプトとは、出生期から現在に至るまでの人生に起きた出来事をひたすら書いていくというものです。特に書き方に指定があるわけではなく、思い浮かんだものからどんどん書いていきます。

書き始めるまではものすごく気が重かったのですが、いざ書き始めると意外と筆が進みました。ただ、1日少しずつ書くというよりは一気に書ききらないと集中力が持続しない類のものだと感じました。カンズメだと捗ると思います。

書いてみると自分の人生の「流れ」のようなものが浮かび上がってくるのが不思議です。ただ思い浮かんだエピソードを書いているだけなのに、何かしらの力が働いているように思えてきます。

さらに、書いていくとだんだんと自分の内側にフォーカスしていくので、書いている期間は内省が自然と深まりやすくなりました。

「自分の人生を」「ストーリーで」「書き記す」という三拍子揃っていることが、内省の深まりを促進しているのだと思います。

ブログにアップするようなものでもないので、毎日続けることは難しいかもしれませんが、一週間に一回程度やっていくと良い振り返りになりそうです。

内省のためのフレームワークは数多くありますが「シンプルにただ記憶にあることを書く」ことでも十分に振り返りになります。そして振り返りが習慣化してくると、自問自答の質が高まり、物事にただ反応することを抑えることができるようになります。そうすると自分や状況の場に沿った行動が取れるようになり、パフォーマンスの向上に結びつきます。また、精神的なバランスも取れやすくなります。

ライフストーリーをただ書くだけ合宿とかやっても面白いかもしれませんね。書く強制力になりますし、内容をシェアしなくとも、書くことによって得られた気づきをシェアするだけで学びに繋がると思います。

Unlearning(アンラーニング)研究会に参加してきました(2日目)

実はもう一週間ほど経っているのですが、Unlearning(アンラーニング)研究会2日目のレポートです。

というのも結局「Unlearning(アンラーニング)」って何なのだろうとモヤモヤと考えていたからです。確かに存在しそうなものなのに言葉にし得ない、そんな感覚を一週間持っていました。

ようやく少し言葉になってきたので、ブログに書いてみることにしました。僕が考える「Unlearning(アンラーニング)」とは『「ほんとう」を探求し、新たな「ほんとう』を創り出すこと」です。組織や人の持つ「真実」とされている信念や習慣が「本当なのか」を健全に疑い、そこからの発見を元に「本当」をアップデートする、そんなイメージです。

個人的にはUnlearning(アンラーニング)」そのものの研究もそうですが、いかにUnlearning(アンラーニング)」できるためのケイパビリティを養うかという点に興味があります。来年の検討テーマの一つになりそう。。。

Unlearning(アンラーニング)研究会に参加してきました(2日目)

先日に引き続き、Unlearning(アンラーニング)研究会、2日目を経てのレポートです。

今回参加して改めて考えたこととしては、感情面に触れるプロセスがアンラーニングには欠かせないのでは?ということです。

アンラーニングというのは、これまで握っていた習慣や慣習を手放すことになるので、感情的な痛みや戸惑いを伴います。研究会の中でも、ある日ガラッと変わることでアンラーニングが促されることもあると話されていた方もいましたが、その際も「戸惑い」は感じるのではないでしょうか。

アンラーニングというと、アンインストールのように、どこか機械的な響きのように聞こえますが、実はかなり人間くさいプロセスなのではないかという思いを強くしました。

この分野、実務面での要請は強く、かつ実践例はたくさん落ちていそうにも関わらず、あまり研究が進んでいません。個人的には、リーダーシップにおけるアンラーニングなどはもっと研究が進むといいのになと思います。

Unlearning(アンラーニング)研究会に参加してきました(1日目)

今日はUnlearning(アンラーニング)研究会に参加してきました。その名の通り、Unlearning(アンラーニング)に関する文献を読みながらディスカッションをするという研究会です。今日と明日の2日間行われます。

1日目を終えて気づいたことは、Unlearning(アンラーニング)はかなり広範囲にわたる概念であり、使用する際にはきちんと定義をして使わないと他の概念との混在を招き、あとあと面倒なことになるということです。

例えば、人材育成・組織開発の観点では大きく2つの文脈でUnlearning(アンラーニング)が必要と言われます。一つは、マネジャーが過去の経験を拠り所にするのではなく、いまある状況から適切な打ち手が打てるようになるような、すでにある概念を取り払い、適切な概念を身につけるという文脈です。二つ目は、新規事業立案のように今までにない概念を生み出す際などに、過去の概念を否定するというような文脈です。マネジメントにおけるUnlearning(アンラーニング)とイノベーションにおけるUnlearning(アンラーニング)の違いと言えるのでしょうか。一見似た者同士に見えますが、打ち手は大きく変わってくるように思えます。

どうも実務上では、なんとなくUnlearning(アンラーニング)という言葉に「スッキリ感」や「爽快感」が感じられるためか、安易に使われてしまっているような風潮を感じます。こういうバズワードが出てくる際は要注意なシーンであることがほとんどです。

2日目でも新たな発見があると思いますので、また改めてレポートを書いてみたいと思います。

「自分をつくる学校」の忘年会に参加して

先週の週末は「自分をつくる学校」の忘年会に参加してきました。僕は学びのコミュニティにいくつか参加していますが「自分をつくる学校」のコミュニティが最も多様性に富んでいて、かつアグレッシブなコミュニティです。

オシャレなイベントも多く、どちらかと言うと、僕はアウェイ感を感じていたりもするわけですが、それでも参加したくなるようなものばかりで、行くと刺激をもらえるものばかりです。

 

今回の忘年会もまさにそんなイベントでした。いろんな方がいろんなことにチャレンジしている姿や話を目の当たりにして「自分はこの1年間何をやっていたのだろうか?」と振り返りながら家路に着きました。

もちろん何もやっていなかったわけではありません。ただ、今日出会った人たちと自分を比べると「まだまだ出来たことがあったな」と感じたことのが嘘偽りない本音でした。やっぱり参加して良かったです。

リフレクション実践会でお話しました

先日、ナカシマさんのリフレクション実践会でお話する機会を頂きました。主に最近、企業の若手人材育成領域で主要トピックになることが多い「経験学習」がメインテーマでした。

「経験学習」はシンプルで分かりやすく、かつ実体験と照らし合わせても納得性が高いため最近流行っているのですが、実はあまり上手に使いこなしている所は無いと思っています。今回の勉強会については、このあたりの「最近の経験学習を取り巻く問題意識」についてお話させて頂きました。

 

僕が思う、経験学習に関する問題意識は「経験学習のサイクルを回すこと=経験学習」になってしまっているということです。。経験学習サイクルは、実践⇒内省⇒概念化⇒再挑戦のサイクルですが、実はサイクルの根底には「思い」と「つながり」があります。この「思い」と「つながり」の深さこそが、経験から学べる力を規定するのです。
だから「思い」と「つながり」が無いと、いくら経験学習サイクルを回しても、経験から学ぶことはできません(経験学習サイクルの空回り)

そして、ほとんどの企業はこの「思い」と「つながり」に対してケアができていないのが実情です。だから経験学習サイクルはこのままだと一過性のブームで終わると思っています。

 

ではどうすればいいのか、それは「思い」と「つながり」を育む支援をすることです。ここでの「思い」とは、自分の目標やビジョンのことです。そして「つながり」というのは人との関係性です。こう書いてしまうと当たり前のようかに思えますが、実際のところ、本当のその通りだと思います。得てして育て上手な人は、特別なことをやっているというよりも、やるべきことをきちんとやっている人です。

僕の願いは経験学習が流行ることではなく、このムーブメントを通じて、育成や人の成長が真っ当な世界観のもとで実現していくことです。もうしばらくは掛かると思いますが、粘り強く取り組んでいきたいと思います。

ごまかす人

今週、サイバーエージェント藤田社長の経営者ブログ「社内事業コンテストは必ず失敗する」が話題になりました。僕はこの記事を読んで初めてジギョつくが廃止されたことを知りました。この取り組みは、人材育成領域においても成功例としての文脈で語られることが多かったので、色々と思うところがありますが、これはまた別の機会に触れたいと思います。

さて、ここからが本題です。実は僕が興味を惹かれたのは別の記事「ゴルフのスコアをごまかす人」でした。内容をざっくり要約すると「ゴルフのスコアをごまかす人は自分の弱さを受け入れられない人である」というものです。僕はゴルフをやらないので「ゴルフのスコアをごまかす」ことの意味合いについては分かりかねる部分がありますが、腑に落ちる記事でした。

というのも僕にも「ごまかす」クセがあるからです。意図的にやってしまう時もあれば、無意識のうちにやっている時もあるように思います。その中でも本当に怖いことは、意識なのか無意識なのか自分でも分からなくなってしまい、その結果、原因を他のことに求めてしまうことです。

例えば、人に何かを伝える時や企画を考えている時など、自分の内から外にアウトプットしようとする時、パワーレスになる感覚を僕はずっと持っています。これまでは、スキルが無いからだと思っていたのですが、実は自分をごまかしていたためにパワーレスになっていたのではと、今になって考えています。これは真の理由である「ごまかし」がいつのまにか「スキル不足」に置き換えられてしまった一例です。

 

こんな風に分析するのも一種の「ごまかし」なのかもしれません。しばらくの間、自分と向き合ってみたいと思います。

いま世の中で語られている「経験学習」はセルの第一形態のようなもの

今度の日曜日に「経験学習」についてお話しする機会をいただきました。この「経験学習」は「成長する人としない人の根本的な差は経験から学ぶ力があるか否か」であるとして、いかに経験から学ぶ力を高められるかについての研究です。詳しくはこちらをご覧ください。

特に最近は企業内教育にて注目を集めている分野で多くの企業が「経験学習」に目を付けたり、取り入れたりしています。

僕もここ1年ぐらい、企業内教育に携わる様々な人と「経験学習」について話してきました。しかし残念ながら「経験学習」の真のポテンシャルを引き出している人にはほとんどお目に掛かってきませんでした。

今の企業内教育の中で語られている「経験学習」はただ経験学習サイクルを回すことを支援するのみに力点が置かれています。これはこれで重要なのですが、いささか表面的と言わざるを得ないのです。

たとえばドラゴンボールで言うならば、いま語られている「経験学習」はセルの第一形態のようなものです。決して完全体ではありません。

次の日曜日にお話しする際には、仮説も含め、僕なりに考えた経験学習の可能性と奥深さについてお話ししてみたいと思います。ほぼ誰にも話していないことなのですが、ある程度は確度が高い話だと自分では思っています。

以上、宣伝も含めたエントリーでした。

「すべてが繋がっていること」を掴める1冊

先日のアクティブホープワークショップに向かう新幹線の中で、喜多川泰さんの新作『ONEWORLD』を読みました。喜多川泰さんは僕が著者買いをするお一人なのですが、今回も大変素晴らしかったです。

One World

One World

 

本作は「すべてが繋がっている」がテーマです。 これだけだとありがちに思えるますが、本当に「すべてが繋がっていること」が実感できるように物語が描かれています。きっとそれは僕たちが日常に体験しているちょっとした繋がりや、繋がりから受ける影響を丁寧にかつ暖かく描いているからだと思います。

いま先が見えなくて悩んでいる人や気持ちが落ち気味な人に特に読んでほしい本です。とても勇気付けられる本になっています。

絶望こそが希望である

週末は「アクティブ・ホープ・ワークショップ」というプログラムに参加してきました。このワークショップは「状況がどうであるかにかかわらず、希望は選ぶことができる」というコンセプトに沿ってデザインされ、セオリーのレクチャーに加えて体感的なワークが多く盛り込まれていました。

字面だけ読むと「それはそうなのかもしれないけど…」と感じるかもしれませんが、このコンセプトを身体を通じて理解・体感できたことがとても大きな学びになりました。自分の人生のベクトルが確実に変わった感覚があります。

身体を通しての気づきを3点に凝縮して言葉にしてみます。

  • 痛みの奥に希望がある。痛みの奥に真実がある
  • 真実はシンプルでかつパワフルである
  • 内面のつながりが、外の世界とのつながりをつくっているし、外の世界とのつながりが、内面のつながりをつくっている

ワークショップに出るまで、これらのことは頭で理解しているだけでした。だから、どこか信じきれない、センスの良い人だけが直感的に掴むことができるものであると思っていました。しかし今回の体験を経て、この3つは確かに存在するということがよく分かりました。

これまで学んできた、U理論やNVC、学習する組織やフューチャーセッションの礎となる前提、考え方が自分の中で落とし込まれた感覚があります。

うまいこと工夫をすれば企業組織の中にも取り入れられそうな手応えを得たので、少しずつ実験をしながら、プログラム化にチャレンジしていきたいと思います。

世界を変えるための本質

今日は世界的なファシリテーターとして知られているアダム・カヘンさんのイベントに参加してきました。

アダム・カヘンさんが何を意識しながらファシリテーションをされているのかに注意を払いつつ、お話を聞いてきました。そこからの気づきについて、今日は書いてみたいと思います。

 

これまでの著書を読む限りだと、まるで魔法のようなファシリテーションをされるため、もともとファシリテーションのセンスのある方なんだと今日までは感じていました。しかし、今日実際にアダム・カヘンさんのファシリテーションを目の当たりにすると、真っ当かつ、王道なファシリテーションをされる方でした。

ファシリテーションのセンスのある方というのは、即興的に問いを投げかけたり、一気に場をシフトさせたりすることがあるのですが、アダム・カヘンさんのファシリテートはきちんとプロセスを踏んで、誰もがついて来やすいように、ゆっくりしかし確実にリードしていくものでした。

その中でも特に印象的だったことは、極めて慎重に言葉を選びながら話されていたことです。決して先を急ぐことなく、いまの状況と話そうとしていることの一致があるまで待って的確な言葉を選択されている様子が伝わってきました。

ファシリテーションを通じて、たぶん、アダム・カヘンさんはずっとこうやって来たんだろうなという着実さと、経験に裏打ちされた力強さを感じました。

世界を変えるということは、決して大きなことをやることではなく、自分の信じることをただやり続けること、そして周りからのフィードバックを踏まえて的確に自己の在り方と行動を変えていくこと、そんなことに集約されるのかなと、今日1日を通して思いました。

 

社会変革のシナリオ・プランニング――対立を乗り越え、ともに難題を解決する

社会変革のシナリオ・プランニング――対立を乗り越え、ともに難題を解決する

 

 

トヨタの強みと弱み〜トヨタ製品開発プロセスから〜

 先週はこの本を読んでいました。見た目から伝わる通り、若干硬めな本なのですが、読み始めるとさながらプロジェクトXのようで一気に読んでしまいました。

ドキュメント トヨタの製品開発: トヨタ主査制度の戦略,開発,制覇の記録

ドキュメント トヨタの製品開発: トヨタ主査制度の戦略,開発,制覇の記録

 

本書は往年の名車マークⅡの開発プロジェクトを通じて、トヨタの製品プロセスが解き明かされている本です。特に「主査制度」という、言わばプロジェクトリーダー制度を軸にトヨタの製品開発プロセスが描かれています。

僕は製品開発について学ぶためにこの本を読んだのですが、読んでいくうちにトヨタの強さと限界についてもわかってきました。今日はそれについて触れてみたいと思います。

まずは強さから。本書から感じ取れたトヨタの強さは、何よりチーム力の高さにあります。主査にあらゆる権限と責任を集約させることで、意思決定のスピードを上げ、それに沿って様々な部署が動くダイナミズムを行間から読み取ることができます。チームとしてのトヨタの強さはすでに知られてはいますが、リアルなケースで目の当たりにすると、そのレベルの違いを知ることができます。

そして弱さについて。僕が本書を読み終わって一番印象に残ったことは「トヨタは良くも悪くも問題解決の会社である」ということです。マークⅡも問題解決のために開発された車なのです。具体的にはオイルショックに伴う環境規制対応のため、そしてシェア拡大のために開発された車でした。

チーム力を伴うPDCAサイクルで開発と販売を進めていく力がトヨタの強みなのですが、一方でビジョンを創り、あるべき姿を自ら設定してそれに向かって進んで行くという部分については他社に比べても劣るのではと感じました。「問題に対してどうする?」という話はかなり多いのですが、「そもそもどうしたい?」のような話はほとんど語られていなかったからです。

もちろんこの話は既に30年以上前の話なので、今もそうかどうかは分かりません。ただ、これまでのトヨタの歴史を観察すると、大きな流れは変わらないのかなとも思っています。

トヨタの凄さを知ることができたと共に、トヨタですら万能でない」そんなことを学んだ1冊でした。

守をバカにしない

先日『研修開発入門』という本を読みました。企業内研修の企画と運営について書かれたいわば入門書です。

実はこの本、ずいぶん前から持っていたのですが、Amazonレビューが若干アレなことから、読まず嫌いをしていたのでした。そんな中、改めて手に取る機会があったので、一気に読んでみたという次第です。

まあぶっちゃけて言うと、あまり期待はしていなかったのですが、きちんと読んでみると、研修企画の入門書としてコンパクトにまとまっている良書でした。(Amazonレビューがアレな理由はいくつか思いつくのですが、それに触れることが趣旨ではないのでそれはまた機会があったらということにします)

入門書なので、発展的なことに関する記述は多くありません。対象読者層としては、初めて人材育成部門を担当することになった人、企業研修会社に入社したての人、などでしょう。上記に該当する人が読むと、学びが多くあるのではと思います。

一方、すでにこの分野で3年程度仕事をしている人には、確かに物足りない内容かと思います。(3年やっているにも関わらず初めて知ることが書いてあったら結構マズイと思った方がいいです)

ただ、私はこの仕事を3年以上はやっていますが、本書を読むことで概念の整理や体系化が進みました。経験として知っていることではあったのですが、要素をフレームワークで整理したり、学術的な背景を知ったりと、得るものがありました。

 

今回の経験を経て感じたことは、基礎を復習することは熟達において大事な要素であるということです。当たり前といえば当たり前ですが、これが「できている」人はどれぐらいいるのでしょうか?何を隠そう、僕も今回、読まず嫌いをしていました。いつまでも入門レベルに留まっていることは良くないですが、時折基本に立ち返ることは、崩れたフォームを元に戻してくれるようなもので、定期的にやっておくべきことだと感じました。